4月3日に、法務局に商号変更の登記申請に行ってきました。
法務局のある小倉合同庁舎は、西小倉駅からだと小倉城の向こうにあるので、満開の桜や観光客の方たちを見ながらの道のりです。

4月は登記手続きが立て込むとのことで、4月17日頃の登記完了のようですが、少しずつ、新生「株式会社VIVINKO」が始まってきております。
なぜ、いま商号変更か
会社名を変えるということは、私の前の会社「アルティザンエッジ合同会社」の時にもやったことで、ITコーディネータになったり、著書を出したりと仕事の内容が変わってきたこともあって、この際、自分の名前をそのまま出すと良いかもと思って「合同会社井上研一事務所」にしたのでした。
その後、北九州でIoTというビジネスコンテストで採択されて、仲間たちと株式会社ビビンコを作るということになりました。2年ほど両方やっていたのですが、自分が代表取締役になったこともあってほとんどの仕事がビビンコに移ったこともあり、合同会社井上研一事務所は解散。
そして、今回は、その株式会社ビビンコを「株式会社VIVINKO」に変更することにしました。
正直言えば、思いつきです。3月29日に思いついて、一人株主総会を取締役(妻)の同席を仰いだ上で開催して(「いいんじゃない」と、賛同も得られたので・・・)、あっという間に4月1日の商号変更を決定。
なんとなく、株式会社ビビンコ→株式会社井上研一事務所案も考えていたのですが、「ビビンコ」の名前をなくすのは違うなと。せっかく、北九州に帰ってきてから5年、地元企業のご支援なども行い、Gen2Goも北九州発!新商品創出事業に認定いただいて、北九州で多少は知られてきたのに、ということもあり・・・。これでも最初は株主4人、役員3人で立ち上げた、それぞれの思いのある会社だし。
この5年間で、本格的に事務所を借りたり、人を雇ってみたり、ということもしました。結局(ほぼ)自分一人の会社に戻っているけど(事務所は維持)。そういうことをしているうちに、自分がこれからやることが定まってきた、というのが最大の理由のように思います。
これから、何をやっていくのか
ここ数年、「ITの価値を遍く拡げる」をミッションとしているのですが、具体的な活動を絞り込んではいませんでした。
これからは、下記の三本柱に絞り込んで、ミッションに沿った活動をしていきたいと考えています。
デジタル経営の推進
ITコーディネータとして、ここ2~3年でPGL Ver.4.0の執筆や、ケース研修の作成に携われたのは、またとない機会でした。そこで新たに提唱されることになったのが「デジタル経営」です。いままでのIT経営を包含しながら、さらに今の時代に沿ったものになったと思います。
これからは、実践のフェーズです。
今年度からは新たなPGLに基づく試験やケース研修が始まり、私自身も新たな挑戦として、ケース研修のインストラクターを務めることになりました。
そして、現場での実践が何より重要です。様々な企業のご支援の現場で、デジタル経営の考え方を取り入れていきたいと考えています。
デジタル経営の第一人者であること。大きな目標ですが、そのための継続的な学びも行いつつ、目指していきます。
Gen2Goをはじめとする生成AIの利活用推進
昨年は私にとって初めての本格的なクラウドサービスの立ち上げとなる、Gen2Goをリリースしました。多くの企業の皆さまにご活用いただくことができ、北九州発!新商品創出事業の認定をいただきました。
今年は大規模展示会への出展を重ねて、積極的な展開を行います。
また、ITコーディネータ協会の生成AI研究会のリーダーを拝命し、中小企業・小規模事業者への生成AIをはじめとしたAI活用について、具体的な取り組みを展開していきます。
内製化を含むデジタル人材教育
プログラミングやAI、DXなどの人材教育はアルティザンエッジ合同会社の創業以来、取り組んでいるテーマです。ここ数年は、小学校への出前授業にも携わっています。
今後も、基本的なITの利活用から先端ITまでを、操作体験を含めた分かりやすい内容で、腹落ちできる研修・セミナーをご提供していきます。
また、単発の研修・セミナーだけではなく、PGL Ver.4.0でも取り入れられている内製化の支援についても、展開していきたいと思っています。実際に、企業内でのITチームの構築についての声もいくつかいただいており、しっかり対応していきたいと考えています。
不惑から知命へ
上記の三本柱以外に、仕事を離れた部分を含めて、地元の街おこしにつながる活動にも関わっていきたいと考えています。「北九州から」、そして最終的には「北九州へ」です。
私はいま45歳で、あと2か月もすれば46歳になります。40歳を「不惑」といいますが、その歳に北九州に帰ってきて、皆さんのおかげでいろいろ活動していく中でようやく、惑わない、惑いを取り除ける状況になってきたのかもしれません。
50歳は「知命」というのだそうです。この三本柱の活動を進めるうちに、それが自分の使命であったと知ることができるのではないかと思っています。
今後とも、よろしくお願い致します。