2025年12月30日、妻であり、株式会社VIVINKOの取締役でもあった井上絢香が逝去いたしました。
葬儀は家族の意向により、2026年1月3日、近親者のみで執り行い、無事に見送ることができました。
この記事では、会社としてのご報告に加え、VIVINKOという会社と絢香がどのように関わってきたのかを、少しだけ記しておきたいと思います。
取締役になる前のこと
私が「会社を作ろう」と考え始めたとき、最初に相談した相手が絢香でした。
事業計画や制度の話というよりも、まずは「あなたには向かないと思う」というところから始まりました。それまでも一人会社をやっていましたが、株式会社ビビンコの最初は株主が4人、取締役が3人いる会社でしたから、私はそのトップというよりも参謀タイプではないか?というのが、絢香の指摘だったのです。結局、「あなたがやりたいのなら」と許してくれたのですが、そんな本質を問い返されていた記憶があります。
北九州に戻り、一人の会社として再出発する際には、自宅に会社の看板を取り付ける作業を一緒に手伝ってくれました。
特別な出来事ではありませんが、あの時の風景は、今でもはっきりと思い出せます。
また、博多方面に人脈の少なかった私に代わり、絢香は自分のつながりを通じて人を紹介してくれました。
表に立つことは少なくても、会社の背後で、静かに支えてくれていた存在でした。
取締役として関わってから
取締役に就任してからは、より直接的に会社に関わるようになりました。
絢香の名刺を作ったところ、それを手に、多くの人に会社のことを伝えて回ってくれたこともあります。
若いメンバーを雇っていた時期には、私とは違う立場で、精神的なサポートをしてくれました。
直接口出しすることはなくても、人が辞めずに踏みとどまれた背景には、絢香の存在があったのだと思っています。
また、それと同時に現在の事務所を探してくれたのも、絢香でした。
せっかちな人でしたから、私が事務所を借りようかと思うとなんとなく言ったら、次の日には不動産屋さんに連絡を取り、見つけてくれたのです。気持ちを曖昧にしがちな私に瞬発力を与えたのは、絢香だったかもしれません。
会社名を「株式会社ビビンコ」から「株式会社VIVINKO」へ変更する際も、最終的に背中を押してくれたのは絢香でした。
名前を変えるという決断の重さを理解したうえで、「その方が良い」と言ってくれたことを覚えています。
感謝と、これから
絢香は、経営者でも、表に出るタイプの取締役でもありませんでした。
それでも、会社の節目節目に、必ずそばにいて、私を支えてくれました。
私が仕事で何かをやり遂げたときや、大きな仕事を受注できたときには、誰よりも喜んでくれたのが絢香でした。
数字や契約条件そのものよりも、「よかったね」、「頑張ってきたことが形になったね」と言ってくれる存在が、いつもそばにありました。
私がこれまで続けてこられた理由の一つに、そうした何気ない言葉があったのだと思います。
公私にわたり、絢香とご縁のあった皆さま、支えてくださったすべての方々に、心より感謝申し上げます。
これからも、彼女が残してくれたものを大切にしながら、株式会社VIVINKOとして歩みを続けてまいります。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


